嫌われる練習
人に嫌われるという事は人間が何か好みを持って生きている存在である以上仕方ない事です。誰からも嫌われていない存在というのは、誰からも知られ ていない存在でない以上、存在する事は難しくなります。
personalityによっても違いますが、例えば人に嫌われる確率が1%だったとしても、10人の中に自分を嫌いになる人が出てくる可能性は 低いですが、10000人になるとほぼ必ず誰かには嫌われます。そして嫌われた人のうち、数%は直接言わないと気が済まない人が混じってきます。
これにやられてしまう人が結構世の中に多いのに最近気づきました。批判している側はそんなに強い気持ちで思っていなくてもされている側は真摯に受
け止めたりしています。それで悩む。自分は自分のままでいいだろうか。
流してしまえば楽なんですが、思おうとして思えるような風には、特に真面目な人間の心はできていません。そしてスパイラルに入っていってしまいます。
自分の人生を振り返っても、始めて他人に名指しで攻撃された時、少なからずショックがありました。私の場合は会った事も無い人が自分を攻撃しているわけ
です。しかも反撃しようにも相手の存在はどこかの誰かな訳で、反撃はしようがありません。なんだか闇夜の森の中で、いろんな角度から弓矢が飛んでくるよう
でした。
ですがしばらくそれに耐えると、ある日突然実は弓矢の先は尖ってもいなくて、毒も塗ってないことがわかってきます。殺されるような類いの攻撃ではないと
気付くわけです。そうなると、ようし来い来いという気分になって、ある程度の弓矢の数であれば気にせず前に進めるようになります。ただし、少し前に進むと
弓矢の数が増えてきて、ごつんごつんと当たって痛いので立ち止まり、そしてまた前に進むという事を繰り返します。
何もしなきゃ批判もされないと思われるかもしれませんが、そういうもんでもありません。自分らしく振る舞えばどこかでは必ず嫌われます。
元々のpersonalityが万人から好かれる人もまれにはいるでしょうが、でもそれは努力ではそうなれません。もし懸命に万人に好かれるように努力
していたら、それは長続きしませんし、それもまた鼻につく人がいるでしょう。なんだあいつは世間に媚びて、となるわけです
つまり持って生まれた天分の才を持っていない限り、必ず誰かには嫌われるわけです。
さて、私たちの職業に話を変えると好む好まざるに関わらず、強くなれば他人の眼にさらされます。有名にも裕福にもならなくていいから、ただひっそ
りと金メダルを狙いたいんです。そんな選手もいますが、それは世の中が許しません。それが現状です。
黙々と閉め切られたジムでトレーニングしていたのが、ある日を境に、突然ジムが全面ガラス張りになり、360度から人がぎっしりと詰まって見られている
気分になるわけです。
ここの狭間で心が折れてしまった選手を何人か見てきました。私のようにどこか不確かで不真面目なところがある人間はぷいっとそっぽを向いて自分な りの落としどころを見つけるのですが、特にまじめに競技だけやってきた選手はどうしてもまじめに批判を受け取ってしまいます。指導者と二人三脚でやってき たタイプに多い気がします。つまりいわゆる日本の立派なアスリートと言われる層です。
彼らも最初は一つ一つに対応するのですが、だんだんと耐えきれなくなり、そのうちに、責任感に苛まれて、自らの主張を折り曲げていってしまいま す。いわゆる丸くなり誰からも批判されないようにする状態になるわけです。エッジが取れた状態です。エッジが取れた選手はだいたい勝てなくなります。
そうした経験を繰り返し、日本のアマチュア選手はそもそも最初から主張せず、行動しないという手法を覚えていきました。だから日本の選手は新しい 事や、例がない事はやりたがりません。そしてスポーツも改革を好まなくなりました。
昔、いただいた御批判に対して、どうぞ僕の人生なんかよりご自身の人生に興味を持たれてください、と言った事がありますがこれは火に油を注ぎまし た。しかし、こういう発想の人間はふてぶてしく生き残るようです。憎まれっ子世にはばかる、です。
好きも嫌いも所詮はただの違いであります。嫌われるのは違ったからです。悪いのはどちらでもありません。
理屈ではそうなんですが、そうは思えず責任感に苛む人が今日も後を絶ちません。そして、矢を放つ人も職場やどこかでこっぴどくやられているのでしょう。
一体どこを断ったらこれが断てるのか考えてみましたがわかりません。
ただ唯一、自分がこのスパイラルから抜け出すには自分の人生にフォーカスする事しか無いのです。もしも、自分の人生に夢中になれば他人の事より、
自分の人生の方が面白くてしょうがなくなります。そもそも、そんな時間が無くなるわけです。
成長したいという欲求も伴いますから、自分を成長させる批判だけはにおいでわかるようになります。
自分自身の人生を謳歌しましょう。人の人生は自分の人生ではないので
「つまり、麻雀にせよ、何にしろ、そこにあったのはいつも「努力」ではなく「工夫」だったと思う。「工夫」があれば何事も楽しくできるのだ。「努力」をしようとすればかならず余計な力が入る。練習して上達を続けるには力が入っていてはダメだ。」
「私は道場で「勝つ」ことを求めず、「負けない」気持ちでやれと言っている。「勝つ」は人がつくりだす欲望だが、「負けない」は野生の動物がもっているような本能に近いところからくるものだ。」
自然に潜在能力を引き出すための方法論として、努力しない、があるわけだ。目標は前にではなくて、両脇に置くような感覚がいいという。目指したら負けなんだよ、と。
「イチローはなぜ、同じ毎日を繰り返しているのに未来をつくれるのか」というCMが以前放送されていたが、世界に誇る日本の“ワザ”は、「同じ毎日を繰り返す」中で生まれていたのだ。
スタンフォード大学心理学教授のジョン・D・クランボルツ博士は、「人生の80%は偶然の出来事に左右される」としてPlanned Happenstance Theory(計画された偶発性理論)を唱えている。博士によれば、自分にとってよい偶然を発生させる確率は自らの行動で高めることができ、そのためには「同じことを繰り返し持続する力」が基本になるとしている。
ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんと対談させていただいたときにも、彼は「僕の発見が、“棚ぼた”みたいに言われるのがすごく悔しい」と語っていた。
田中耕一さんといえば、「試薬の調合を間違えて新しい発見につながった」とし、棚ぼたノーベル賞などと失礼極まりなく揶揄するマスコミもあったが、それにひどく怒っていたのだ。田中さんは、「毎日毎日、同じことを繰り返し、同じものを見ていたから、間違って出てきたものが、単なる雑音なのか、それとも重要な意味をもつものなのか見極められた。もし、長年同じものを見続けたという繰り返しがなければ、そのままゴミ箱にいっていたと思う」と語っていた。ノーベル賞に値するような大発見も、毎日の繰り返しなくして生まれないのである。
私たちの日常だって、繰り返しやっているからこそ新しい発見をすることは多い。いわゆる、学び(=学習)、と呼ばれるものだ。
雑なことを単純に考える。複雑に考えるというのは一見頭のいい人のすることのように思えるが、実はまったく逆で単に無駄な回り道。賢い人は単純な姿に変え
て核心だけを残すことができる。(稲森さん)
長年老体に鞭打ったのが仇となり、とうとう半寝たきり状態になってしまった。
読経や寺の掃除など一切の業務を弟子に任せきりとなってしまったため、
暇を持て余してしまった和尚さんは、ある日から文字の書いたカードを仕切りに音読し始めた。
弟子が不審に思って「それは何か」と尋ねると、
和尚さんは笑顔で「英単語の暗記カードだ」と言う。
和尚さんの年齢はその時すでに80歳を越えていた。
残念ながらこの先回復する見込みもなく、はっきり言って後は死ぬだけ。
弟子は気後れしながらもそのことをやんわり和尚さんに伝え、
失礼とは思いつつ、それが「無意味」であるとたしなめる。
すると和尚さんは怒ることもなく、
「昔から英語がぺらぺらになりたいという夢があった。
もう80を越え、先も短いかもしれないが、
今度生まれ変わったとき少しでも楽に覚えられるように、
今のうち勉強しておるのじゃ」と笑顔で答えた。
それを聞いた弟子はその前向きさに感銘を受け、それから暗記のお手伝いをするようになったそう。
2009-05-01 (via gkojay) (via ssbt) (via oosawatechnica)
- 「環境音」を流す
- 「集中ワード」を紙に書いて、目に見えるところに置く
1.の「環境 音」(自然の音のように、一定で変化のあまりない音)については、実は誰もが経験していることかもしれません。図書館のようにシーンと静まりかえったとこ ろだと、逆にヒソヒソ声や鉛筆のカリカリ音が気になってしまうのに、電車の中(ガタンゴトン、という一定のノイズが続く)だと集中して本が読めるとか。番 組内の実験では、被験者の女性に川のせせらぎのような自然の音を聞かせていました。こちらのページで紹介され ているサイトから音源を落として、携帯プレーヤーで聞きながら仕事してみる、とか試してもいいかも。
2.の「集中ワード」には、大きく分 けて以下の2つが挙げられています:
- 小刻みな目標
(例:「1時間800個以上検査する」という目標を、「10分間に 130個以上検査する」という目標に変えて書いておく) - ごほうび/はげまし
(「クリアできたら定時に帰れる」「クリアできた ら旅行に連れて行ってもらえる」や、「がんばれ!」「絶対合格!」など)
重要でない仕事に全力投球しても、成果は得られない。全体を把握してから、「ここをやれば、成果が大きい」部分を見つけ出す。全体を俯瞰し、アウトプット優先思考で考えないと、ムダが多くなってしまう。
2. プライオリティーを守る
たとえ最適な優先順位をつけたとしても、それを実行しなければ、何にもならない。心を鬼にして、自分のつけた優先順位の通りに遂行すべし。優先順位を守れた時に、アウトプットは最大化する。
3. 「論理」で「情」を押さえ込む
日本人の場合、「○○がかわいそうだ」といった情の部分で行動してしまうケースが多い。だが、それでは結局、良い結果は得られない。「論理」でシンプルに考え、理性的に行動することが必要だ。
学ぶようになる要因も、やはり周りの環境や人が大切なんでしょうね。もちろん、パーソナリティの問題もあるのでしょうけど、僕は、教育学としては、 周囲の環境や人に注目したいです。学んだ成果に対して周りの反応がなかったり、裏切られたりすれば、学ばないことを学んでしまいます。
でも逆に、学びのきっかけになる環境や人との出会いがあれば、「もう一度やりなおせるかも」とか「学びなおそうかな」とか思うようになるかもしれ ません。しかし、一度獲得されてしまった、この種の「信念」を変えるのは、そう容易なことではありません。そのきっかけが具体的に何かはわからない。
この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。

